METISからの提言―日本の医療機器・技術によるヘルスケア戦略―
第2回 発見・発明から医療革新への道 慶應義塾大学名誉教授 財団法人 国際医学情報センター理事長 相川直樹
はじめに
小職は,医療技術産業戦略コンソーシアム(METIS)の前共同議長であった和地 孝委員(日本医療機器産業連合会前会長)のお招きにより,第2期からMETISの委員を務めてきた。METISはこれまでに,「革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略」など重要な具体的提言をしてきたが,医療機器をこれからの日本の基幹産業にすべきとするわれわれの考えは,いまだ政府や国民に十分に理解されていないと思う。
本稿では,医療を飛躍的に進歩させた発見や発明が実用になった事例について紹介し,革新的医療機器開発の推進について考えてみたい。
発見・発明と医療革新
1)ペニシリンの誕生と工業化
20世紀の偉大な発見と臨床応用の一つにペニシリンがある。1929年に英国のFlemingは,青カビがブドウ球菌の発育を阻害することを偶然“発見”した。Flemingの発見は10年ほど世に出なかったが,発見の“実用性”に着目したFloreyとChainが,青カビが出す物質(ペニシリン)が種々の病原菌を殺菌することを証明して,1940年のLancet誌に報告した。
翌年にはOxford大学病院のRadcliffe Infirmaryでペニシリンが初めてヒトに投与され,1942年には治療成功例が報告されている(Churchillの肺炎を治したのは1943年のアフリカ戦線でのことらしい)。
英国と共に第2次世界大戦を戦っていた米国連邦政府は,1941年にCommittee on Chemotherapeutics(化学療法委員会:いわゆるPenicillin Committee)を組織して,政府(特に陸海軍)の資金力と組織力をもってペニシリンの量産化に乗り出し,戦場に送られたペニシリンは,兵士の感染症,特に致命的となるガス壊疽の治療に劇的な威力を発揮した。
戦後は,米英を中心に製薬企業によるペニシリンの工業生産化が進み,民間人にも広く使用されて,1950年代には肺炎,髄膜炎,産褥熱などの致命的疾患や,化膿性疾患,梅毒,淋病に絶大な治療効果をもたらした。Fleming, Florey,Chainの3名は1945年のノーベル医学生理学賞を受賞している。

2)発見から医療革新への時差
医療現場での工夫でも医療は進歩するが,飛躍的進歩はペニシリンのように,医療現場から離れた発見から始まることがある。ほとんどの発見は臨床応用されることなく,単なる情報として埋もれるものの,発見(Fleming)とこれを医療に結びつける洞察力と応用研究(Florey,Chain),そして,標準化と量産化を推し進める組織と資金力(企業や政府)によって,医療革新がもたらされる。
図には,医学知識・情報の集積(上の線)と医療の進歩(下の線)の時間的関係(横軸)を示したが,発見から医療革新がもたらされるまでには,時差(time lag)がある。ペニシリンの場合は,Flemingの発見(1929年)から,Florey,Chainが着目するまでの10年が何とも惜しい。その後は,とんとん拍子で臨床応用と工業化が進んだが,戦争が絡んだことがこのスピードアップにつながったと思う。
このような,発見と医療革新を医療機器で見てみよう。
図 医学上の発見・技術革新と医療の革新的進歩の時差(池田康夫, 相川直樹 : 技術革新と医師の課題.
図  医学上の発見・技術革新と医療の革新的進歩の時差
(池田康夫,相川直樹 : 技術革新と医師の課題 三田評論,1988; 893: 24-33を一部改変)

3)種々の医療機器
医療機器は医薬品と共に医療を支える両輪となっている。医薬品が生物学,化学,薬学分野の発見から医療革新をもたらすのに対して,主に,物理学や工学(特に材料工学や情報工学)分野の発見・発明や理論から誕生する新たな医療機器が医療革新をもたらす。
医療機器には,人工呼吸器,麻酔器,人工心肺,心臓ペースメーカ,血液透析装置,ライナックなどの治療用粒子加速器など大型機器のみならず,輸液ポンプや注射器,手術用メスや縫合針,カテーテル類など,多種多様な治療用機器がある。診断用機器も臨床現場で活躍している。体温計から始まり,心電計,脳波計,スパイロメータ,パルスオキシメータ,医用テレメータなどの患者監視装置,内視鏡(治療にも用いられる),血液ガス測定装置や臨床検査に用いられる自動検体検査装置などがある。さらに,臨床診断の精度を飛躍的に高めた医療機器に,X線などの電磁波を用いた種々の画像診断装置がある。

4)RÖntgenの功績
陰極線の研究をしていたRÖntgenが,物質透過性が高く目に見えない放射線を偶然“発見”して,X線と命名したのは1895年11月,年末にはドイツ物理学会に論文を送っている。この物理学上の発見の論文は翌年2月までに英語やフランス語に訳され,日本でも3月にはX線の存在が知られている。RÖntgenは,X線発見の翌年1月に妻の手のX線写真を撮っているが,そこには骨と指輪が透過度の低い像(陰影)として写っている。
この大発見は急速に世界中に知られ,翌1896年には米国BostonのMassachusetts General Hospital(MGH)で患者のX線写真が撮られている。私事で恐縮だが,筆者が1973年MGHに留学した時,その原写真を見て大変感激したことを覚えている。
X線写真は骨折や肺結核の診療に革新的威力を発揮し,今日の医療現場でも不可欠である。X線発見の功績により,1901年の第1回ノーベル物理学賞がRÖntgenに贈られた。
発見から医療応用への時差が1年ときわめて短かかったのは,電磁波発生装置と写真乾板が当時すでに使われており,体内断層画像の説得性が大であったからであろう。

5)X線CT
RÖntgenが発見したX線は,X線CTの発明と実用化で80年後に大きく躍進した。医療画像を専門とする本誌の多くの読者には釈迦に説法となるので,ここでは発明・発見と医療改革の観点から簡潔に述べる。
X線断層写真は肺結核の病巣診断などで使われていたが,新たな“発明”は多数の角度から得られたX線減弱度の数値をコンピュータで処理して断層像を構築するというCormackの“理論”(1963年と64年にJ Apply Physics誌に発表)に基づいている。この地味な物理学的理論を医療器具として実用化したのは,Houndsfieldら英国EMI社の電気工学技師である。牛の脳の断層像構築に成功した後,Houndsfield自身が実験台となり,その後,患者の脳の断層像構築に成功,1972年に論文を発表した。この実用化を支えたのは,英国EMI社の開拓の理念と豊富な資金力であったと思う。
第2次世界大戦中から戦後にかけてEMI社はレーダーやミサイル誘導装置で世界をリードし,その後はステレオ音楽やテレビ放送の新技術で安定した経営を続けていた。電子工学技術で頭の断層像を作るという,これまでのEMI社の製品と離れた医療分野の応用研究に資本注入した経営判断が医療の革新的進歩をもたらした。CTは当初EMI scannerとも言われ,CormackとHoundsfieldは1979年のノーベル生理学・医学賞に輝いた。医療機器開発による最初の生理学・医学賞である。
Cormackの理論(1964年)から最初の患者のCT写真(1972年)までわずか8年,その4年後には全身の断層像が撮れるCT装置が実用化され,瞬く間にX線CTは必須の医療機器となった。
革新的医療機器開発のために

ペニシリンの薬品化やX線CTの機器開発には,発見や理論をacademismやbasic researchの世界からpragmatic (実利的)な製品に持ち上げる“力”が必要であった。皮肉なことに,この力はペニシリンやX線CTでは,戦時軍事予算が主であったが,その成果は,戦場ではなく世界人類の健康増進に貢献している。

画像診断装置としては,X線CTに続いてMRIやPETが登場した。再び私事で恐縮だが,小職がMGHの外科医であった1973年に,Physics Research LaboratoryでBrownellやAronowらが開発していたpositronカメラを見せてもらったことがある。positronの存在は理論物理学の世界と思っていたが,脳神経外科のSweet教授のお声がかりで20年以上前から医療への実用化が進められていたのだ。Harvardの大学病院に位置付けられているものの,一病院が物理学者や工学技師を抱えて革新的医療機器開発を進めていることに驚いたが,その開発は米国政府などが提供する潤沢な公的研究資金で支えられていた。当時の(そして今日でも)わが国の医学研究費からは想像もつかない額である。このような資金に支えられた研究がPETとして画像診断装置に結実したのである。

わが国には,物理学,理学,工学,もの造り技術など,高度の医療機器を創る環境は十分整っている。しかし,日本の“科学技術立国”を論じる際に,政府や財界,さらには国民までもが医療機器をないがしろにしているように思えてならない。閣僚が先頭に立って外国への鉄道や原発の売り込みをし,自動車や家電などは税金から出すエコポイントで支援されている。医療機器に着目して国と産業界が動けば,産業振興のみならず,鉄道や原発以上に健康社会構築を通して国民の利益に通じる。日本発の医療機器は,自動車やテレビ,パソコンなどの次の世代の日本の基幹産業となるものと信じている。

◎略歴
1968年,慶應義塾大学医学部卒業。同大学外科学助手, Harvard Medical School Research Fellow & MGH Clinical Fellow in Surgery, 済生会神奈川県病院外科医長などを経て,88年,慶應義塾大学医学部救急部助教授,92年, 同大学教授兼大学病院救急部長,99年,北里記念医学図書館長を兼任,2003年,慶應義塾大学病院長・(社)慶應医師会長,09年,慶應義塾大学名誉教授,(財)国際医学情報センター理事長。
現在,医道審議会医師分科会長・医師臨床研修部会長,厚生科学審議会・臓器移植専門委員会委員,薬事食品審議会・専門委員,駐日米国大使館Post Medical Advisor,駐日カナダ大使館:Honorary Medical Advisorなどを務めている。 Honorary Fellow of the American Surgical Association, Fellow of the American College of Surgeons

(インナービジョン2010年10月号より転載)
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