2025-11-7
NVIDIA GTC 2025で講演する佐藤教授(NVIDIA提供)
昭和医科大学脳機能解析・デジタル医学研究所では,所長の佐藤洋輔教授らが,てんかんなど脳機能障害に対する顕微鏡下手術におけるAIリアルタイム立体視映像生成システムの開発を行っている。実用化されれば,手技の精度を高めるだけでなく,若手脳神経外科医の育成や医学教育にも寄与し,さらには他領域への応用も期待される。この開発に当たっては,NVIDIAのエッジAIプラットフォーム「NVIDIA IGX」と医療向けのソフトウエア開発フレームワーク「NVIDIA Holoscan」が活用されている。AIリアルタイム立体視映像生成システムの開発の実際と,その先に見える医療の未来について,佐藤教授を取材した。
デジタル技術を用いた医療機器開発に取り組む
昭和医科大学脳機能解析・デジタル医学研究所は,2023年4月に設立。初代所長として佐藤教授が就任した。現役の脳神経外科医である佐藤教授は,これまでの臨床経験に基づき,基礎医学と臨床医学,さらには電子工学といった学際的な研究を推進し,脳機能障害の診療におけるデジタル技術を用いた診断・治療のための医療機器開発を手がけている。
脳機能障害は,脳の構造的・機能的異常によって引き起こされ,認知・運動・精神機能や行動に障害が生じる。主な疾患として,注意欠如・多動症(ADHD),自閉スペクトラム症などがあり,特に中核的な病態がてんかんである。てんかんは脳神経細胞の異常な電気活動によって発作を繰り返す慢性疾患で,記憶力障害や注意力低下などにより,社会的な適応性にも影響を及ぼす。近年,診断技術の向上によって患者数は増加していると指摘され,有病率は1%と言われている。
てんかんの診療は,神経学的評価に加えて心理学的検査やMRIなどの画像検査,SPECTによる機能検査,脳波検査が行われる。さらに,診断が確定した後,教育的な支援や環境の調整も含めた多面的治療を行っていく。内側側頭葉てんかんや焦点てんかんなど,構造や機能に障害が認められる場合や,薬剤抵抗性といった場合には外科的治療が検討される。
同研究所ではこれまで,画像検査では所見の得られない機能的異常を検出する特殊脳波解析技術を開発し,脳波から脳の状態を評価できるようにして,脳機能やてんかんの病変部の可視化に取り組んできた。佐藤教授は「てんかんの病変部の正確な評価だけでなく,認知症やうつ病への応用など成果が生まれています。さらに,私たちは,このような診断技術に加え,治療技術として脳の状態を立体的に表現する革新的なAIリアルタイム立体視映像生成システムの開発を行っています」と説明する。このAIリアルタイム立体視映像生成システムは,実現すれば従来のてんかんの顕微鏡下手術よりも手技の精度と安全性が向上し,若手医師の育成や医学教育にも寄与する技術として期待されている。
AIリアルタイム立体視映像生成システムを開発する
佐藤教授
手術における医師の暗黙知を共有するためにAIを活用
てんかんに対する外科的治療は,病変・焦点切除や迷走神経刺激療法などを顕微鏡下手術で行う。しかし,現状では3つの課題が存在していると佐藤教授は指摘する。
「1つ目の課題は,術者以外に立体的な空間認識ができないことです。現在の顕微鏡下手術では術者が顕微鏡を見ながら脳を立体的に認識して手技を進めます。一方で,助手やほかのスタッフは外部ディスプレイに映し出された二次元映像しか確認できず,脳構造などの立体的な空間認識も困難で,手技の精度に影響を及ぼします。2つ目の課題は,術者の身体的な負担です。顕微鏡で観察しながら手技を進めるため,長時間にわたり不自然な体勢を強いられ,疲労の蓄積などによって集中力が低下し,手技に支障を来す可能性があります。さらに,3つ目の課題は,術中に神経活動や血流などの機能情報が視覚化されないことです。切除範囲の同定が困難で,術後合併症のリスクが高まります」
これらの課題を克服するため,佐藤教授らが挑んでいるのがAIリアルタイム立体視映像生成システムの開発である。外部ディスプレイの二次元映像から深度情報を推定し,術者だけでなく助手などのスタッフも奥行きのある立体視映像をリアルタイムで共有できるシステムをめざし,その核となる技術にAIを活用することにした。佐藤教授は「経験を重ねた脳神経外科医は,二次元の映像からでも脳の構造を立体的にイメージすることができます。それと同様にAIに学習させることで,二次元映像から三次元映像を構築できると考えました」と説明する。こうして,医師の暗黙知をAIによって手術室のスタッフや若手医師,医学生と共有する発想が生まれ,NVIDIAの技術を用いてシステムを開発することになった。
NVIDIA IGX/Holoscanで開発したAIリアルタイム立体視映像生成システム
AIリアルタイム立体視映像生成システムは,微細な空間情報を高精細な画質で立体的に表現することが重要だ。「人間の視覚に近い自然な奥行き感覚を,立体映像としてできるだけ限られた映像ソースから再構成するという究極的課題がありました。この空間情報の描出において実績のあるNVIDIAのGPUに注目していました」と佐藤教授は説明する。さらに,ノイズ除去による画質の改善,テクスチャーの強調,リアルタイム処理の最適化のためにはAI活用が不可欠だった。
術中使用を考慮すると,わずかな時間のズレでも手技に影響するため,低レイテンシーは必須要件である。当初はPyTorchで開発していたが,より高速な処理を可能にするCUDA Graphへ切り替え,70ミリ秒未満の低レイテンシーを実現した。さらに,医療や産業分野で採用されるエッジAIプラットフォームNVIDIA IGXを使用し,信頼性や安全性の高いAI開発環境を整えた。また,豊富な実績のある医療機器用AIアプリケーション開発フレームワークNVIDIA Holoscanを用いることで,IEC 60601(医用電気機器の安全規格),IEC 62304(医療機器ソフトウエアのライフサイクル規格)といった標準規格に準拠した医療機器の開発を可能とした。これにより安定稼働と長期サポートが保証され,社会実装へスムーズに移行できる。佐藤教授は「NVIDIAからは,GPUの最適化やNVIDIA Holoscan SDKの活用法など,技術面と運用面でサポートを得られたほか,エンジニアのコンサルティングも受けることができました。AI医療機器の社会実装に向けて信頼できる心強いパートナーです」と述べている。
手術中に術者以外も顕微鏡映像を立体視でき,情報共有が充実する(佐藤教授提供)。
立体視映像を見ながら手技をシミュレーションすることでトレーニングの質が向上する(佐藤教授提供)。
CTやMRIなどのDICOM画像も立体視が可能で,医学教育に活用できる。
精度向上や負担軽減,教育効果など立体視で変わる顕微鏡下手術
佐藤教授らが開発したAIリアルタイム立体視映像生成システムは,単眼映像から数センチ単位で奥行きを推定し,リアルタイムで30fpsの立体視映像を生成する。この映像は,ソニー社の「空間再現ディスプレイ(Spatial Reality Display)」に表示される。裸眼で立体視映像を観察でき,熟練した脳神経外科医であっても遅延を感じることなく没入感を得られる。
すでに実臨床での実証も進んでおり,社会実装されれば複雑な血管や神経構造を立体的に認識でき,手技の精度が向上する。さらに裸眼で空間再現ディスプレイを見ながら手技を進められるため,術者の身体的負担を軽減し,集中力を維持して手技を行える。これは医療安全にも寄与する。一方,若手医師の育成や医学教育においても,解剖学的構造やデバイス操作を立体的に観察できるため理解度や習熟度が高まる。3DシミュレータやVR技術との組み合わせにより体験型学習も可能となり,教育の質向上も期待される。
臨床応用と教育への展開,医療機器への実装をめざす
これまでの開発を踏まえ,今後について佐藤教授は「AIリアルタイム立体視映像生成システムの基盤技術はほぼ完成しており,社会実装として臨床応用と教育への展開を進めます。臨床での実証を積み重ね,術者の視認性や操作精度,術中判断への影響などを定量的に評価し,有用性・安全性を検証していきます。また,教育分野に向けて,この技術を用いた手術シミュレーション教材の開発も行っていきます」と力強く語る。さらに,API(Application Programming Interface)化を進めて,企業と連携して手術支援ロボットなど医療機器への実装もめざしている。
佐藤教授はAIを活用したこれからの手術について,「術中映像を解析して術者の判断を補完し,術式の自動提案や個別化支援が可能になると思います」と展望する。AIリアルタイム立体視映像生成システムは,佐藤教授が描く未来の医療像を映し出している。
(2025年7月18日,8月18日取材)
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